さようなら中央線201系

Good Bye!! series 201 chuoh line

 

 

 1979(昭和54)年、「省エネ電車」としてデビューした201系試作車。この試作車は各種試験後、中央快速線で営業運転を開始し、その2年後の1981(昭和56)年に同線に量産車が投入。その後中央快速線で「オレンジの電車」として親しまれ、走り続けてきた201系は2010年10月17日のさよなら運転をもって同線から完全撤退し、約30年の歴史に幕を閉じた。

管理人所有の晩年の中央線201系写真を掲載し、中央線で活躍していた201系を少しながら振り返ってみたいと思う。

  
 
 
 
 
 
 
後継のE233系0番台が投入され、置き換えが始まった頃。
 
 
10両貫通のT編成の番号は元番号+100となっていた。この頃はH編成もまだH(分割)運用に入っていた。。
 
E233系が投入完了をして引退かと思われていたが、この時三鷹〜立川間の連続立体化工事が行われており、武蔵小金井折り返し運用が配線の都合ですぐに折り返しできないために車両不足解消のため、H4編成、H7編成が残った。このH編成はE233系の分割形態に合わせて組み換えを行った編成であるが、実際に分割されて運用されることは無くT運用に就いていた(ダイヤ乱れの際はH運用に就くこともあったが分割される前に車両交代されていた)。
 
 
 
この2編成体制は思っていたより長く…
 
雪の日。。
 
 桜の咲く頃。
 
真夏の御茶ノ水〜水道橋の有名撮影地をゆく中央特快
 
 
 
 
 
新宿駅こ線橋架け替え工事で終日各駅停車運用につく201系
 
色々な一面を見せてくれた。
 
 
引退が公表され、201系のキャンペーンが始まり…
30周年記念キャンペーンステッカーを張り通勤特快運用に就くH4編成
 
その後、2010年4月11日からH4編成のさよなら運転が始まった。
そして6月20日、H4編成は長野へ向けての最終運行・・・
 
 
 
その日、H7編成は通常運用に入っていた。。
 
そのH7編成もいよいよ引退することになり、同年7月20日よりさよなら運転が始まった。しかしながら定期運用をこなしながらさよなら運転がされていたのはH4編成とは違った点であった。
 
 
 
 
        突然の夕立の中を行くH7編成
 
 
そして、10月17日長野へ向けて最後の旅路に出た。
 
 
 
 
 
 
オレンジ色の201系はこれにて完全撤退したと思われがちだが、豊田車両センター内にトップナンバーであるクハ201-1が車両センター外から確認できる位置に留置されており、今後の処遇が気になるところである。
        

 

END

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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